あたりまえ
あたりまえ
(井村和清)
あたりまえ
こんな素晴らしいことを、みんなはなぜ喜ばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が2本あって、足が2本ある
行きたい所へ自分で歩いて行ける
手を伸ばせば何でも取れる
音が聞こえて声が出る
こんな幸せはあるでしょうか
しかし、誰もそれを喜ばない
そんなことあたりまえだ、と笑って済ます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして、また、朝が来る
空気を胸一杯に吸える
笑える、泣ける、叫ぶことも出来る
走り回れる
みんなあたりまえのこと
こんな素晴らしいことを、みんな決して喜ばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
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この詩の作者である井村和清さんは、膝にガンが見つかり右足切断、その後肺がんが見つかり31歳という若さで、愛する妻と幼い子どもを残して、なくなったそうです。子どもの一人は、まだ奥さんのお腹の中にいたとのことです。
人は何かがなくならないとその大切さに気づけないですね。
でも、それを知ってからは気づく努力ができます。
何にでも感謝できる習慣が身につきます。
いま目に見える普段では何でもないもの。
いま聞こえる普段では何でもないもの。
ああ、屋根があることで冷たい雨や風から守られているんだなあ。
ああ、隣から家族の足音が聞こえる。一緒にいられるって嬉しいなあ。
そうしていくと、毎日の幸せを感じる時間が多くなりますね。
Karin
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