神殿一言集

「紙切れに書かれた言葉」より)

神殿一言集
2003.6.14



神殿の儀式は、救いの計画の全てを包含するものである。・・・これは・・・福音の計画を完全に明らかにするものであるために、神殿での礼拝は福音の全般に関する記憶を新たにするための最も効果的な方法の一つとなる。・・・眼を開き、象徴と聖約に特に心を留め、その意味するところを余すところなく理解しようと、たゆまず努力しながら神殿の儀式を受ける男女には、神が言葉をかけられ、啓示が下る。エンダウメントは非常に象徴的である。したがって、それを説明しようとすることは愚かなことである。そこにはたくさんの啓示が秘められていて、力を尽くして理解しようと求める人々には明らかにされる。したがって、いかなる人間の言葉を持ってしても、神殿の業に内在する深い意味を説明し、明確に出来るものではない。啓示によってもたらされたエンダウメントは、啓示によって理解するしかない。純粋な心で、最も熱心に求める人々にこそ、最も偉大な啓示が与えられるのである。(ジョン・A・ウィッツオー)

農場や商店、事務所、家庭などで忙しく働き、問題や心配事を抱えている人は、他のどこよりも主の宮において、その問題をより良い形で、またより早く解決できると私は確信している。自分の問題を忘れ、自分とその先祖のために神殿で働く人は、今は亡き人々に大きな祝福を与えるだけでなく、同様に自分にも大きな祝福がもたらされるであろう。何よりも思いがけない時に、神殿の内あるいは外で、啓示として、悩んでいる問題の解決法が与えられるからである。それがふさわしい状態で神殿に入る人々に与えられる賜物である。なぜなら神殿は啓示を望むことの出来る場所だからである。私はこれらのことについて個人的な証を皆さんに述べるものである。(ジョン・A・ウィッツオー)

神殿の儀式では、救いの計画全体が教えられている。時代から時代へ、教会は指導者が語り続けた教えが教えられ、理解しがたい問題を明らかにしている。神殿の教えは、ゆがめたりこじつけたりすることなく、偉大な救いの計画に当てはめることが出来る。エンダウメントは哲学的見地から見ても首尾一貫しており、神殿の儀式の真実性を示す強力な論拠の一つとなっている。加えて、神殿の儀式の概要、更には福音の計画全体を思う時、神殿に入って礼拝することは、福音の体系全体を心を新たにして見渡す非常に良い方法である。もう一つの事実は、神殿の業が真実であることが内なる強い証となって常に私たちに働きかけることである。主が預言者ジョセフ・スミスに啓示されたエンダウメントと神殿の業は、4つの部分に分けられる。すなわち、儀式の準備、指導と講義、聖約、そして最後に知識の試験である。論理学に関して何ら教育も受けず、訓練も施されなかった預言者ジョセフ・スミスが、自分の力だけでこれほど論理的に筋の通ったものを作り上げたとは、私には思えない。――「神殿での礼拝」『ユタ系図歴史機関紙』12(1932年4月)
(ジョン・A・ウィッツオー)

わたしたちは象徴の世界に住んでいる。象徴によらなければ、何も知ることは出来ない。例えば、わたしたちは紙の上に印を書いてそれを文字だと言う。それが愛とか、憎しみとか、思いやりとか、永遠なる神を表すのである。そのような印は、見た目にはあまり美しくないかもしれない。文字は書物のページに書かれた象徴だが、表すものよりも美しさにおいて劣るからといって、文字そのものをとがめ立てる人はいない。わたしたちは、「神」という文字(象徴)が神の偉大さを象徴している割には美しくないと抗議したりはしない。そして、その指し示すものが何かはっきりしている限り、象徴が存在することは喜ばしいことである。今宵、諸君にお話ししたいのだが、諸君は私の話の進め方や言葉の用い方に抗議はしなかった。わたしが何を言おうとしているかを考えるあまり、諸君は私の用いた言葉や論法は覚えていないだろう。わたしたちは、象徴の世界に住んでいるのである。男性も女性も、象徴の裏にその象徴の表す広大な現実を見なければ、受けるべき天与の賜物を得て、神殿から出てくることは出来ない。――「神殿での礼拝」(ジョン・A・ウィッツオー)

神殿では全員が同じような白い装いをする。白は清さの象徴である。清くない人は誰も主の家に入る権利がない。しかも統一された服装は天父である神の前に人は皆平等であることを象徴している。物乞いも銀行家も、教育のない者もある者も、王子も乞食も、神殿では隣り合わせに座る。主なる神の前では義にかなった生活をしていさえすれば皆等しく大切な存在なのである。――「神殿に目を向ける」『インプルーブメント・エラ』1962年10月号、p.710(ジョン・A・ウィッツオー)

神殿は教える場所である。ここで福音の原則が説かれ、神の王国の深い真理が開かれる・・・神殿は安らぎの場所である。騒がしい外界の心配やわずらいを離れ・・・神殿は聖約の場所である。それは、わたしたちが正しい生活を送る助けとなる。ここでわたしたちは神の律法に従い、自分自身の祝福と人の善の為に、福音の貴い知識を用いることを約束するのである・・・神殿は祝福の場所である。わたしたちの忠実さを条件として、現世から永遠にまでも及ぶ約束が交わされる・・・神殿は信仰篤い人々に儀式を施す場所である。人間の力では答えられない多くの問題について、人生の偉大な奥義がここで明らかにされる。(1)わたしはどこから来たのか。(2)なぜこの世にいるのか。(3)死後どこへ行くのか。ここでは、人生のあらゆる事柄の源である霊的な欲求が、最も重要なものであるとみなされるのである。神殿は啓示の場所である。主はここで啓示を与えたまい、すべての人は人生において助けとなる啓示を受ける・・・祈りと信仰を持ってこの聖なる場所へ入るすべての人々は、人生の数々の問題を解決する助けを得るであろう。――「神殿を仰ぎ見て」『聖徒の道』1968年6月号(ジョン・A・ウィッツオー)

私はこの任務を、生ける者に福音を宣べ伝える業と同様に、重要な業であると考えている。この世を去った人々は、霊界において神の僕の声を聞くであろう。しかし、神の御名によって建てられた神殿において、彼らのために一定の身代わりの儀式が行われなければ、彼らは復活の朝によみがえることは出来ない。この世を去った者の救いのためには、生ける者の救いと同じ過程を踏まなければならないのである。(ウィルホード・ウッドラフ)

この業を継続させることはわたしたちにかかっている。神はわたしたちの働きを祝福して下さり、わたしたちはそこにおいて喜びを得るであろう。これは救い主の再臨のために必要な一つの備えである。そして、わたしたちは今予定されている神殿を建て終えると、他の神殿を建てることが必要であると分かるようになるであろう。この方面における私たちの働きの勤勉さに応じて、わたしたちはなすべき業の規模を悟るであろう。現在は始まりに過ぎない。救い主が来られると、一千年がこの贖いの業に充てられるのである。そして、ヨセフの地、すなわち南北アメリカの全域に、またヨーロッパや他の地に数々の神殿が見られることであろう。肉体にあって福音を受け入れることのなかったセムやハム、ヤペテの子孫は皆、救い主が御父に王国を捧げて「御業は終わりました」と言われる前に、神の神殿において儀式の執行を受けなければならないのである。――『説教集』1977年、19:229~230(ウィルホード・ウッドラフ)

あらゆる儀式の中で・・・最も大切なのは結び固めの儀式であり、他の儀式は全て結び固めに導くものである。わたしたちは祝福を受け、バプテスマを受け、確認を受け、聖任を受け、エンダウメントを受け、最後に結び固めを受ける。いかなる者もこれなしには昇栄を得られない。・・・神殿は単に訪問するだけの素敵な場所でも、結婚式を行う美しい建物でもない。・・・全ての男女は結び固めの儀式が絶対に必要であることと、それなしには永遠の世における救いも、永遠の命も得られないことを知らなければならない。――「福音の儀式」『ブリガム・ヤング大学におけるセミナリーインスティテュート職員への説教』1962年6月18日、pp.9-10(スペンサー・W・キンボール)

この地上の全ての神殿が昼夜の別なく運営される時代が遠からず来ることでしょう。人々が朝、昼、夜と交代で神殿に参入して働く時代が来るでしょう。やがてわたしたちは休みなく働き、神殿も休みなく運営される時が訪れるに違いありません。・・・人々は限界まで昼夜を問わず働くことでしょう。なぜならば、この御業が重要であり、また永遠の内に横たわり、わたしたちのもたらす祝福を切望し必要としている人々の数が非常に多いからです。――ワシントン神殿の奉献式における話(スペンサー・W・キンボール)

神殿は世の中から聖所として分け隔てられており、小さな地上の天国と言うことが出来る。わたしたちはしばしば神殿を訪れて、自らの聖約を新たにすることが出来るように、常にふさわしい生活を営むべきである。(エルレイ・L・クリスチャンセン)

もしあなたがふさわしい生活をしており、監督からふさわしいことを認められて神殿推薦状を受け、信仰と正しい望みと主を信頼する気持ちを持っているならば、主の宮において人生における最も素晴らしい経験を味わうことが出来る。(エルレイ・L・クリスチャンセン)

神殿は、御霊を求めて参入するなら、御霊が教えを与えてくれる学びの場です。エンダウメントは、それ自体、限りなく学ぶ機会を提供してくれます。・・・ちょうどわたしたちがお互いについて知っているのと同様に、神と救い主イエスを知るというチャレンジと祝福を、わたしたちは与えられています。エンダウメントの儀式では、神会の本質と働きに関する神聖で重要な情報が示され、わたしたちは霊的な力に満たされるのです。(イレイン・L・ジャック)

全世界から、あらゆる時代の神の民を集める目的は何であろうか。・・・第一の目的は、主の宮を築き、そこで主の民に主の宮居で行われる儀式と、王国の栄光を明らかにし、人々に救いの道を教えることである。なぜならば、ある特定の儀式や原則は、それらが教えられ、執行される時には、その目的のために建てられた場所、あるいは宮で行わなければならないからである。・・・神がこの末の世にその民を集めて彼らを整え、エンダウメントや洗い、油注ぎなどの儀式を行う一つの宮をたてさせ、主に奉献するように命じられたのもこれと同じ目的からであった。(ジョセフ・スミス)

どうしたら(聖徒たち)がシオン山の救い手になれるだろうか。それは神殿を建ててバプテスマフォントを造り、この世を去ったすべての先祖の身代わりに進み出て、バプテスマ、確認、洗い、油注ぎ、神権の聖任の儀式を経、結び固めの力をその頭に受けることによって第一の復活にあずかり、共に栄光の座に昇栄出来るよう彼らを贖うことである。父の心を子らに、子らの心を父に結びつける鎖はここにある。そして、それによってエリヤの使命が全うされる。――『教会歴史』6:184(ジョセフ・スミス)

私は父が「試しや誘惑にあった時は主の宮で受けた約束と交わした聖約のことを考える」と言ったのを聞いたことがある。そしてそれらの聖約が父を守ったのである。・・・これらの儀式はこの守りを与えるためにもある。これらの儀式を敬い尊ぶならば、わたしたちはこの世において救いを得、次の世において昇栄を受けるであろう。――「高価な真珠」『ユタ系図歴史機関紙』1930年7月号、p.103(ジョセフ・F・スミス)

死者の身代わりの働きは「人を大きくするものであり、隣人の幸福についての見方を広めさせ、人の心に天父の全ての子らに対する愛を植え付ける。人に自分と同じように隣人を愛することを教え、人の心に天父の全ての子らに対する愛を植え付ける。神殿で死者のために行われる業に匹敵する者はない。――「チャーチニューズ」1970年10月24日、p.3(ジョセフ・F・スミス)

神殿参入に備える最良の方法は、霊的に自分を備えることです。神殿には霊的な気持ちで参入し、霊的に学ぶ備えが出来ていなければなりません。そのような準備は、初めて神殿に入る時だけでなく、生涯を通じて続ける必要があります。この霊性は、聖典の研究、熱心な祈り、隣人への奉仕、教会の召しを果たすこと、福音の原則を実践することによって高められます。主の宮で教えられることを学ぶには一生かかります。神殿に入る度に、福音についてそれまでよく分からなかった新しいことを学ぶことが出来ます。神殿の中で理解し学ぶ能力は、大部分私たちの霊性の質にかかっています。わたしたちが神殿から何を持ち帰るかは、神殿に何を持って行くかによるところが大きいのです。(J・デュアン・ダッドリー)

監督やステーク会長は、神殿推薦状を発行するための面接をする時、次のように言うとよい。「あなたは神殿に参入する推薦状を受けるためにここにいらっしゃいました。そして、わたしは主の代理としてあなたを面接する責任があります。資格のあることが確認できましたら、私はあなたの神殿推薦状に署名しますが、私の署名以外に必要な署名があります。それはあなたの署名です。この両方があって初めて、推薦状として認められるのです。推薦状に署名する時に、あなたはこの推薦状を持つにふさわしい者となるという約束を主と交わすことになります。これから、いくつかの質問をしますので、全てに正直にお答えください。」さらに、既定の質問を終えた後に、次のように付け加えるとよい。「主の宮に参入する人は、汚れなく、神聖で、清い状態にあり、決して不自然な行為を行っていてはなりません。」面接は愛と慎みを持って行わなければならない。面接を適切に行うために、時折次のように尋ねてみるとよい。「ご自分の神殿推薦状に署名するのに、不安を感じることや、主に対して不正直だと感じることはありませんか。署名する前に、何かしなければならないことはありませんか。主は全てをご存知であり、決して侮られるようなお方ではありません。わたしたちはあなたをお助けしたいと思っています。召しや推薦や祝福を得るのに、正直であっていただきたいのです。」あなたが以上の方法を用いる時に、相手の会員は自分自身を吟味する責任を負うことになる。監督やステーク会長は識別の力を用いる権利がある。したがって、推薦状を発行する前に彼らに何か欠けているところがないかどうかを見分けることが出来るであろう。――「面接のもたらす祝福」『聖徒の道』1979年2月号(N・エルドン・タナー)

エンダウメントの儀式では、各人が以下のような義務を引き受けなければならない。すなわち、徳と貞操の律法を厳密に守り、寛容で情け深く、清らかな心を持つことを聖約し、約束する。さらに、真理を広め、人々の精神を高揚するために、才能と財産とを捧げ、真理のために身を捧げ、あらゆる努力を払うことを聖約し、約束する。各々の約束を交わし、義務を引き受けると祝福の約束が宣言される。そして、この約束が成就されるには、その条件を忠実に守らなければならない。――『主の宮』pp.26-27(ジェームズ・E・タルメージ)

神殿におけるエンダウメントは、過去の神権時代の意味とその歴史、また人間の歴史上最も重要な時代である現代の重要性に関しての教えから成っている。この教えのコースには、創世記の最も顕著な出来事についての話、エデンの園における我々の最初の両親の状態、不従順とそれによって生じた喜びに満ちた生活からの追放、額に汗して働いて生活するよう宣告された時の孤独で荒涼とした世界での二人の状態、この大きな罪が贖われるという救いの計画、全て古代に存在していた権威と特権を備えた福音の回復、現世における個人的な義への純粋な献身によって必要欠くべかざる条件、福音が要求することに完全に従順であること、などについての話が含まれている・・・エンダウメントの儀式には、各個人に課する一定の義務を包含する。すなわち、寛大で情け深く、寛容でしかも純粋になるよう、美徳と純潔の律法を守ること、真理を広めたり、人々の精神を高揚するために才能や財産を捧げること、真理を主張し続けること、この世の王であられるイエス・キリストを受け入れることが出来るよう必要な方法を探し求めること、などの聖約と約束がエンダウメントの儀式に含まれている。各々の聖約に従い、責任を守れば、信仰の状態しだいで約束された祝福が与えられる。――『主の宮』pp.74-74(ジェームズ・E・タルメージ)

悩み苦しむ時、また重大な決断に迫られる時、教会員は神殿に行くことが出来ます。神殿は、心配事を持って行くのにとても良い場所です。神殿の中では、霊的な目を持つことが出来るからです。そして儀式を受けている間中、わたしたちはこの世から抜け出ることが出来るのです。・・・神殿の霊的な雰囲気の中に入ると、心なしか心洗われるような、清められるような気がします。(ボイド・K・パッカ―)

わたしたちは全ての国民、民族、国語の民に主イエス・キリストの福音を宣言しなければなりません。そして、バプテスマと教会員としての確認の儀式を受ける備えをさせるのです。わたしたちは、福音の儀式を受けさせ、昇栄を得るための訓練と指導を通して、聖徒たちを全き者にしなければなりません。わたしたちは、かつてこの地上で生活した人々のために代理の儀式を行うことにより、死者を贖わなければなりません。(ボイド・K・パッカ―)

わたしたちは教会の組織を運営する際に全ての道が確実に神殿に通じるものとなるようにするとよいでしょう。なぜなら、神殿においてこそ、主の御前に行く資格を得るために全ての事柄において備えが出来るからです。――『地区代表セミナー』1987年4月3日(ボイド・K・パッカ―)

儀式と聖約は、神の御元に行くための資格証明書になります。ふさわしくなってそれを受けることは、生涯の目標であり、最後までそれを守ることは、この世におけるチャレンジです。自分自身と家族のために儀式と聖約を受けた人は、亡くなった親族のために、ひいては全人類のために、身代わりの儀式を行う責任があります。(ボイド・K・パッカ―)

神殿で儀式を受ける時には神殿の白い衣を着る。この衣はふさわしさと清さを象徴している。神殿に入るとすぐ洋服を神殿の白い衣に着替える。この着替えはロッカー室で行われ、仕切られた着替えの場所とロッカーが与えられる。神殿では慎み深さという点で高い水準が固く守られている。自分の衣類をロッカーの中にしまう時、わずらいや心配事、気苦労なども一緒に閉じ込めてしまう。そして白い衣を身につけてこの小さな着替え室を出る時には、周りの人が皆同じように白い衣を身につけているので、一致と平等を感じるのである。(ボイド・K・パッカ―)

神殿で何を得るかは、謙遜、敬虔、学ぼうとする気持ちなどの形で、わたしたちが神殿に携えていくものに大きく左右される。もしわたしたちが素直であれば、神殿の中で御霊による教えを受けるであろう。(ボイド・K・パッカ―)

わたしたちが成長し、人生のあらゆる経験から学ぶにつれて、神殿で象徴的に説明される真理は新たな意味を持ってきます。幕は少しずつ広く開けられ、永遠に関する知識と視野は広がります。神殿で教えられることが象徴的なものであることを心にとめて神殿に行くならば、必ずやビジョンは広がり、少しなりとも高められたという気持ちを味わい、霊的な事柄に関わる知識を増し加えることが出来るでしょう。(ボイド・K・パッカ―)

監督は、個人的なふさわしさについて質問する責任があります。教会員にとって、この面接を受けることはとても大切です。なぜならそれは聖任された主の僕と共に、皆さんの人生の行程について考える機会だからです。皆さんの人生の行程に何か間違ったことがあれば、監督はそれを正す手助けをしてくれるでしょう。こうして皆さんはイスラエルの一般判士の助言を受け自らの信条を表明し、主の承認を得て神殿に参入するためふさわしい状態になれるよう助けを受けることが出来ます。――『聖なる神殿』p.3(ボイド・K・パッカ―)

神殿に参入してエンダウメントを受け聖壇にひざまずいて結び固められても、あなたは普通の生活をする普通の人間なのです。つまり誘惑と闘い、過ちを犯して悔い改め、また過ちを犯しては悔い改めるということを繰り返しながらも常に聖約を守る決意を心に固く持っているという生活です。・・・そうすればある時「よくやった。あなたはわずかなものにも忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」(マタイ25:21)という宣言を受ける日がきっとやって来るでしょう。――『心を悩ませてはならない』p.257(ボイド・K・パッカ―)

夜、全景を照明で彩られた神殿を見たことのある方はお分かりでしょうが、何と心を打つ光景でしょう。光を浴びて闇の中にそびえ立つ主の家は、霊の暗闇に深く沈んでいくこの世に建てられたイエス・キリストの福音の力と霊感の象徴です。――『聖なる神殿』p.7(ボイド・K・パッカ―)

ガーメントは、神聖な聖約を受けたしるしです。また、ガーメントを着る者に慎みを教え、盾となり守りとなります。・・・体を覆うガーメントは、視覚と触覚によって、わたしたちが交わした聖約を思い起こさせてくれます。誘惑に直面した時、ガーメントは多くの教会員を守る盾となります。またそのほか様々な状況にあってガーメントは神の律法と、その中にある道徳的標準に対するわたしたちの深い畏敬の念を象徴しています。――『聖なる神殿』pp.15、18(ボイド・K・パッカ―)

最初の神殿参入の時には、神殿の儀式を十分に理解出来ないでしょう。ほんの一部しか理解できないかもしれません。何度も、繰り返し参入してください。何度も学んでください。悩んでいたこと・・・不可解に思われていたことが徐々に分かって来るでしょう。・・・エンダウメントのセッションに入る時や、結び固めの証人になる時には、眼前で繰り広げられることの意味を深く考えてください。これからは、神殿に入る時にはいつもこの点に心を留め、静かに祈りをもって諸儀式を反すうしてください。そうすれば、知識が増すことに気づくでしょう。神殿参入の大きな意味の一つは、地球に関する神の目的が広大なパノラマとなって眼前に繰り広げられることです。一度神殿に入れば(もちろん何度も参入すれば記憶を新たに出来ますが)、人生の中の出来事は、神の計画の中に仕組まれたものであることが分かります。そして自分がどこにいるのか、どのような時に道を外れるのかを、すぐさま見て取ることが出来ます。――『聖なる神殿』p.7(ボイド・K・パッカ―)

神殿の御業と、それを支える系図探求の仕事ほど、この教会員にとって大きな守りとなるものはありません。またいかなる業もこの御業ほどに、人の霊を磨き、人に力を与えることは出来ません。加えて、これほど高い標準が要求される業もありません。・・・神殿の儀式に関する啓示を受け入れるなら、そして、一日延ばしにしたり言い訳をしたりせずに主の契約の下に入るなら、主はわたしたちを守ってくださるでしょう。わたしたちは人生に立ち向かうに十分な霊感を受けます。・・・どうぞ神殿に参入してください。そして、祝福を受けてください。神殿の業は聖なる御業なのです。――『聖なる神殿』p.38(ボイド・K・パッカ―)

神殿のエンダウメントは次の3つの点で人を豊かにする。(a)儀式を受ける人は神から力を与えられる。すなわち、「いと高きところから力を授かる。」(b)これを受ける人は知識を得る。「主の目的と計画に関する教育を受ける。」(『モルモンの教義』p.227)(c)聖壇で結び固められると、その人はエンダウメントの一部として素晴らしい祝福と力と栄光を受ける。――『聖なる宮居』p.153(ボイド・K・パッカ―)

神殿で儀式を受け、聖約を交わすこと以上に霊的な業はありません。その業は救い主をわたしたちの生活の中心に据える業だからです。この世でどのようなことが起きようとも、各自が神殿において儀式を受け、聖約を交わすことは必須なのです。(ハワード・W・ハンター)

神殿に参入し、神殿を愛する民になろうではありませんか。時間と資金と個人の都合が許す限り頻繁に、速やかに神殿に行きましょう。親族の死者のためだけに参入するのではなく、神殿での礼拝によって得られる個人的な祝福を求め、神聖で奉献された壁の内部で得られる安全と聖めを得るために参入しましょう。神殿は美しい場所であり、啓示を授かる場所あり、平安の宿る場所です。そこは主の宮居であり、聖さを主に捧げる場所です。同時に、わたしたち自身にとっても聖なる場所でなければなりません。(ハワード・W・ハンター)

主の宮を、教会員であることの崇高な象徴とし、最も聖なる聖約を交わす至高の場所として確立することです。神殿に参入するふさわしさを全ての教会員が身につけること、それがわたしの心の奥底からの願いです。神殿が近くにないために、すぐに、あるいは頻繁に算入できないとしても、すべての成人会員が有効な神殿推薦状の発行を受けるふさわしさを身に付けられるように、また推薦状を所持出来るように願っています。(ハワード・W・ハンター)

わたしたち教会員は、自分自身のために神殿の儀式を受け、それからそれらの儀式を亡くなった人々のために行わない限り、福音の全ての祝福にあずかることは出来ません。会員がこのことを成すためには、神殿がなければなりません。私はこのことについて非常に強く感じるものがあります。・・・これらの素晴らしく、かつ類い稀な建物、そしてそこで執行される儀式はわたしたちの礼拝の究極の姿を現しています。これらの儀式はわたしたちの神学の最も深遠な表現となっています。私は全ての会員の方々に、神殿推薦状を持つにふさわしい生活をし、それを貴重な財産と考えて大切にし、これまで以上の努力を払って主の宮に参入し、そこで受ける御霊と祝福にあずかるようにと、私の持てる限りの力を込めて強くお勧めします。誠意と信仰をもって神殿に行く全ての人が参入する度に更に成長した人となって出てくることに、私は喜びを覚えています。わたしたちは皆、脛に進歩を必要としています。時にはこの世の喧噪(けんそう)を離れて神の神聖な宮の中に足を踏み入れ、神聖さと平安の中に主の御霊を感じる必要があります。――「半期総大会での説教」1995年10月1日(ゴードン・B・ヒンクレー)

わたしたちは、かつてなかったほど次々と神殿が建てられる時代に生きています。・・・神殿の中で行われる神聖で重要な業は、更に推し進められなければなりません。そしてそのためには、会員の住んでいる近くに建て、会員が遠く旅する必要のないようにしなければなりません。・・・これらの神殿は、儀式を行うためにあります。そこで儀式を受ける人々は、生活における一致という祝福を刈り取るでしょう。彼らが主に近づくならば、主も彼らに近づいてくださるでしょう。(ゴードン・B・ヒンクレー)

神殿で行われることは全てその結果が永遠に及ぶ事柄です。不死不滅に関わる問題、永遠につける事柄、人と天父、及び贖い主との関係などに関する事柄に触れるのです。このような神聖な場所に入るには、汚れのない心と清い手をもち、永遠につける厳粛な事柄について考える必要があります。ここでは人の永遠の旅路に関わる偉大な計画が教えられます。また、神聖かつ永遠の聖約がここで交わされます。神殿への参入は努力して得る特権であり、教会員だからといって自動的に得られる権利ではありません。では、どうすればその特権にあずかることが出来るのでしょうか。福音の律法と儀式に従うことによってです。(ゴードン・B・ヒンクレー)

女性を心から愛した男性、あるいは男性を心から愛した女性で、2人の愛が死後も続くことを願わない人がいるでしょうか。子どもを亡くした両親で、次の世で再び我が子を腕に抱く日を願わない人がいるでしょうか。人間の最も貴重な属性は愛であり、それは家族関係の中に最もよく表れます。永遠の命を信じていながら、天におられる神が、息子、娘に対して、この愛を示してくださらないのではと思う人がいるでしょうか。そのような人はいないはずです。わたしたちの理性が家族の絆は死後も続くことを悟らせてくれるからです。人の魂がそう願っているからです。そして神はその実現の方法を啓示してくださいました。主の宮で神聖な儀式こそがそれなのです。――「なぜ神殿を」『末日聖徒イエス・キリスト教会の神殿』p.17(ゴードン・B・ヒンクレー)

わたしたちは美しい神殿の中で、安らかな雰囲気のもとに、人生の重要な問題に対する答えを得ることがあります。御霊の力を通して純粋な知識を受けることもあります。神殿は自分自身の問題について啓示を受ける場です。問題や困難の重さに押しつぶされてしまいそうになった時、私は心にその答えを祈り求めながら、主の宮へ行きました。そして、非常にはっきりとした形で答えを受けてきました。(エズラ・タフト・ベンソン)

かくして、全ての人々が清い手と純粋な心をもってこの聖なる神殿を訪れ、それによって聖なる御霊が常に宿り、恵みと霊感、祝福がもたらされるように。もし重苦しい不安と暗い心をもって参入する人があれば、その重荷を軽くし、信仰を増し加えて宮居を出ることが出来るように、もし心にねたみやわだかまりがあれば、そのような心に自己を反省する気持ちと赦しとを与えたまえ。そしてこの神聖な宮居を訪れる人が全て、平安で聖き力を感じることが出来るように、主よ、更にこの神殿の敷地内を通る人々、遠方よりこの神殿を眺める人々が全て、この世の汚れた生活に平伏することなく顔を起して、汝と汝の御心を仰ぎみるように力を注ぎたまえ。(デビッド・O・マッケイ)

あなたにとってエンダウメントとは、主の家において必要な全ての儀式を受けることであり、あなたがこの世を去った後、番人として立っている天使たちの前を通り過ぎ、彼らに聖なる神権に結びついている鍵の言葉としるしとかたちを示して御父のもとに帰り、地や地獄を越えて永遠の昇栄を得られるようにするものである。――『ブリガム・ヤング説教集』p.416(ブリガム・ヤング)

この世と永遠にわたる結婚については聖典に、「昇栄と命の存続に至る門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない」とあるが、「死に至る門は大きく、その道は広い。そして、そこから入るものが多い」(教義と聖約132:22,25)ともある。もしサタンとその軍勢があなたを説き伏せ、死をもって終わるこの世の結婚の広い道の方を選ばせたとしたら、あなたは結婚を通して得られる最高の永遠の幸福を得て永遠に進歩する機会を取り去られたことになる。そこで日の栄えの王国の最高の位を得るために、人は新しくかつ永遠の結婚の聖約に入らなければならないと主が言われた理由がお分かりいただけたと思う。もしそうでなければ、わたしたちは日の栄えの最高の位を得ることは出来ないのである。(教義と聖約131:1-3)・・もしあなたが夫や妻、家族と1つになりたいと思うならば、その結び固めは、この地上で神権の権能によって行わなければならない。――『実りある生活への決断』p.127-128(ハロルド・B・リー)

適齢期を過ぎてもなお求婚の申し込みを受けないでいる若い女性の皆さん。皆さんが自らを主の家に行くにふさわしい状態に整え、この日の栄えの結婚の永遠かつ神聖な原則に対して信仰をもっているなら、たとえこの世において結婚の特権にあずかれなくても、主はふさわしい時に報いを与えてくださり、いかなる祝福も取り去られることはないであろう。約束された祝福を享受できないのではないかという恐れから、ふさわしくない人からの求婚を承諾する様なことがあってはならない。同様に、若い男女の皆さん。皆さんが人生の初期に事故や不治の病で、あるいは恐ろしい戦争に巻き込まれて結婚の機会に浴すことなく、亡くなることがあっても、主は皆さんの心の内をご存知である。そして、主がふさわしいと思われる時に、そのために定められている神殿の儀式を通して可能な機会を与えてくださるのである。神の王国の昇栄に関する律法に従うために、あらゆる努力を払いなさい。主は皆さんの心の願いによってのみならず、皆さんの行いによっても判断されるのである。そうして皆さんに与えられる報いが確かなものとなるのである。――『あなたがたは世の光である』pp.308-309(ハロルド・B・リー)

神殿の中でガーメントを着用した教会員は、生涯それを身につけるという聖約を交わしています。この聖約は昼夜を問わずガーメントを肌着として身につけるという意味に解釈されています。・・・基本原則は、ガーメントを常に身につけ、やむを得ない場合以外は脱がないというものです。・・・ガーメントを脱ぐ必要のある場合でも・・・出来るだけ早目に再び着用してください。この聖約の中には、体を適度に覆うという慎みの原則が含まれており、身につける衣服は全てこの標準に合ったものでなければなりません。神殿で聖約を交わした教会員は、主と交わした神聖な聖約のしるしとして、また誘惑と悪から身を守るものとしてガーメントを身につけています。ガーメントをどのように着用するかにより、各自がどれほど強く救い主に従いたいという気持ちを持っているかが分かります。――「大管長会の手紙」1988年10月10日(大管長会)

心が清くなければ、この宮には入れない。この宮で受ける食事に勝るものをどこに見いだしえようか。心ゆくまで食するがよい。神が豊かに与えられたのだから。天について学び、神聖な喜びを味わえ。ここでは主について学ぶ。墓を越え、勝利をおさめられた主、人に天国の鍵を授けられた主について学ぶのだ。過去と現在を結び付ける力により、1つとなり、生者と死者は、この宮で完成を遂げるのだ。――「カナダ・アルバータ神殿碑文」(オーソン・F・ホイットニー)

神殿が建てられてきたのは民が全能者の業を進めるためです。神は人の不死不滅と永遠の命をもたらすために神殿を与えられました。神殿が建てられたのは、神殿を使うためです。わたしたちは神殿を活用することによって神を讃えるのです。この大会を始めるにあたって、私は兄弟姉妹に神殿を活用するよう強くお勧めします。神殿に行って、天の神がわたしたちのために用意してくださった偉大で驚くべき業を前進させてください。神の方法と計画をそこで学びましょう。義と真理と寛大さへ導いてくれる聖約を神殿で交わしましょう。神権の権能によって執り行われる永遠の聖約の下で家族を1つに結びましょう。神殿に行き、今申し上げた祝福を過ぎ去った世代に及ぼすことが出来ますように。わたしたちの先祖はその祝福を待っているのです。――「半期総大会」2002年10月(ゴードン・B・ヒンクレー)

福音が獄にいる霊界に宣べ伝えられる時、その伝道に伴う成果は、この世で長老たちが行う伝道をはるかにしのぐものになるでしょう。私は、福音がもたらされる時に、それを喜んで受け入れない霊はごくわずかしかいないと信じています。そこには何千倍もの好機があることでしょう。(ロレンゾ・スノー)

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